【1月23日の「元「パンダ」……それは『桂文珍』」日記】
四国方面を約二年ぶりに周ってみて、ホビー系中古店の凋落に目を覆わんばかりの落胆を感じた。
そこに有った筈の店舗は既に「100円ショップ」や「ゲーセン」に変わっている。 そんな場合が数件あった。
「猟場」がどんどん狭くなっていくなぁ。
そんな中で、とあるHobbyOffのミリタリーコーナーで見つけたのが、下記の物件。
所謂『文鎮』である。
実物大の「チャカ(拳銃)」の形をした金属製鋳物の塊であるが、諸処の事情で「銃口」は塞がれている。
「モデルガン規制」の不遇の時代より以前に存在していたホビーの一種であるが、マイナーである事には異論はない。 今回、四国で入手したのは『旧日本軍九四式拳銃』と『浜田二式拳銃』であった。
「文鎮モデルガン」で有名なのは、その世界では有名な「中田商店」と「ADVEN」というメーカーがある(「中田商店」は自社製復刻革製ホルスターの型崩れ防止用に造られた経緯がある)。

今回の二挺とも残念ながらメーカーを限定することは出来なかった。 中古購入価格:各三千円也
『九四式拳銃』は、1930年代に大日本帝国陸軍が開発・採用した自動拳銃。
当時、帝国陸軍の将校准士官が装備する護身用拳銃は軍服や軍刀などと同じく私物・自費調達の「軍装品」扱いであったため、FN ブローニングM1910(ブローニング拳銃)やコルト M1903などの外国製輸入拳銃約30種、日本製なら杉浦式自動拳銃などから各自が任意に調達していた。 それらは使用実包(弾薬)も異なっており、またメンテナンス方法や使用部品もばらばらだったため、国産拳銃に統一しようという声が上がっていた 。しかし当時南部式自動拳銃の小型版、南部式小型自動拳銃は7mm南部弾使用による威力不足や価格の高さなどで生産中止、また南部式自動拳銃(大型)ならびに陸軍制式の兵器である十四年式拳銃は大型拳銃のため将校用には不向きであった為、日本初の国産自動拳銃である南部式自動拳銃を開発した南部麒次郎は、陸軍制式である十四年式拳銃実包(8mm南部弾、8mm×21弾)を使用することにより実包の互換性を高め、機構の簡略化によりメンテナンス性を向上させた新型拳銃を開発し、これは1934年(昭和9年、皇紀2594年)12月12日に『九四式拳銃』として陸軍に準制式採用され、1935年(昭和10年)から量産が開始された。
以降、『九四式拳銃』は将校准士官のみならず、機甲部隊の機甲兵、航空部隊の空中勤務者(操縦者など)、空挺部隊(挺進連隊)の挺進兵など、小型拳銃を欲する特殊な兵種にも供給され盛んに使用された。
作動方法は一見してそうはみえないが、「ショートリコイル方式」を採用している。この銃は当時、小型自動拳銃のノウハウのまったくない日本の技術陣が全く独自の、悪く言えば独善的な設計思想で完成させた拳銃で、ドイツのP-08、アメリカのM1911A1など他国の技術を全く無視した日本オリジナルの設計がなされている
後年、この銃を接収して試験に当たった連合軍側の技術者からは「自殺拳銃」と揶揄されたりもしたが、よく言われる『暴発しやすい』という欠点についての「九四式」はシアの一部が外部に露出していたため、ここに力が加わるとトリガーを引かなくとも弾が発射されてしまうという事実に対し、日本軍では元来、拳銃の携帯時は薬室から弾を抜き、弾倉も装填しないよう徹底していたため、日本軍での運用上で九四式が実際に暴発したことはなかったと言われている。
尚この辺りはwikipedea等を参照しているが「日本語版wiki」では、特に激しく否定しているのが興味深い。

上記内容と重なるが拳銃開発に重きをおいていなかった日本では、重く取り回しづらい国産拳銃の評価は芳しくなかった。もともと日本軍将校は自前で拳銃を用意することもあって外国の拳銃が主に使用されていた。しかし昭和初期、戦争の機運が高まると軍需物資の輸入調達が難しくなったのと、政治的な意図がからみあい国産拳銃の需要が高まった。そこで日本銃器株式会社社主の濱田文治により設計されたのが「浜田式自動拳銃」である。
1941年(昭和16年・皇紀2601年)に完成し、将校用の拳銃をかねて市販された32口径の「一式拳銃」から8mm口径に改良された「浜田式自動拳銃」が『二式拳銃』である。
ブローニング・ハイパワーのような外観を持ち、銃口側に重量をかけるデザインとなっているがこれは8mm南部弾の威力に合わせた改良で、銃口の跳ね上がりは抑えられたと思われる。また遊底も大型化された。1943年昭和18年に完成した『二式拳銃』は開発中の秘匿名を「ハケ式」と呼んだ(ハは浜田式、ケは拳銃)が戦局は悪化しており、製造数はごくわずかであると言われている。一説には1500丁ほどの生産があったという説もあるが武装解除の折に失われたのか、現存しているものは製造番号が2桁台にとどまっており)「幻の拳銃」ともされる。複座による自動式で、ストライカー式による撃発を採用している。昭和18年10月12日、仮制式を飛ばし、いきなり陸軍制式として採用された。
そのスマートな外観に、特にトリガーガード根本下部「切り欠き部」の何処かSFチックな格好良さに痺れるのは私だけではあるまい。

最近『九四式拳銃』がHWS(ハートフォード社)から樹脂製モデルガンとして突然発売された時には驚いた。(「二式拳銃」も以前ガレージキット的に製品化されたことがある)
以前、GUN誌だったか「無可動の文鎮モデルのトリガーを力一杯引くとどうなりますか?」という読者の問いに
「指が痛くなります」との回答が載せられていたのには笑った。
モールドも甘く、決して素晴らしい出来とは言えない文鎮の「一挺」だが、どこか憎めないのも事実である。
(金属製で冷たくて重いしネ♪)
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