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 【2月21日の「夜明け前の早朝、旅先の宿のガラス窓に射す光に眩しさを感じて目を覚ますと、それは天空の満月から繰りそそぐ『月光』なのでした」日記】
 午後四時ごろ 出張で香川県内を疾っている最中、営業車内のAMラジオから流れる広島のラジオ番組から「地震速報」。
 「近畿地方で午後三時四十分ごろ地震がありました。 震源は和歌山地方で震度4。
  主な地域での震度は和歌山市が震度4。 奈良市で震度3。……」

 「やべぇっ!」とばかりに自宅に電話。
 最近学校が休みでよく自宅にいる娘が電話に出て一安心。
「二階の本は大丈夫かぁ?」
 「…お父ちゃん。そこは先ず 家族の無事を心配するのが『ヒトの道』かと…」
 うむ。 確かにそれもそうだが二階の本(主に中古漫画本、優に○千冊は…鶴亀鶴亀)、重火器、中古LDの山(これが意外と重いのよ)に、自宅の床が抜けやしないかが一番の心配だったのでごんす。
 もしもそのような事態に陥っていたならば「家族の安全」どころではないでわないか。
 ちなみに娘もビックリするような「揺れ」だったそうです。


 後輩の古書店勤務「モミヒゲスピード氏」が、早急に古書を買い取りに来てもらうのを待つのみだな(依頼済)
             ae73774e.jpg

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 【2月15日の「本当にあった怖い銀行」日記】
 香川県高松空港のそばのホテルで目覚める。
 雪は止んでいて、昨夜の積雪も大したことはない様子。 でも一面「銀世界」。

 お仕事の途中、高松市内で「百十四銀行」に立ち寄る。
 先日の「交通違反罰則金」を振り込むため。
 何故わざわざこのような土地の地方銀行を選んだのかというと、奈良県警の出納担当者が「何処から振り込んどんねん、コイツ?」と首を傾げるようなささやかな復讐である(効果があるのか否かは別問題だが)。

 その「百十四銀行高松某支店」に一歩足を踏み入れて驚いた。
 「いらっしゃいませ~」という行員の声に迎えられると思っていたら、いきなり屈強な制服警察官数人と女性警察官に取り囲まれたからである!(本当)
 「な、ナニゴトでっか? わて別に悪い事してませんで…いや、悪いコトしたのは先週の土曜日で、今日はその罰金を…」
 「ご安心ください。今日は『振り込め詐欺防止キャンペーン』でお声を掛けさせて頂いております!」
 なんや大層な。
 「本日は『お振込み』ですか? 『振り込め詐欺』にお心当たり御座いませんか? 十分にご注意ください!」
 大きなお世話ぢゃ……あ、せやせや、
 「実は先日、普通に単車で走ってたらいきなり電柱の陰から男の人が飛び出してきて、この紙切れを渡してお金を振り込めと言わはったんですぅ。これって新手の『罰金振り込め詐欺』ちゃいますやろか?」
 「どれどれ?……ってアンタ、あんまり警察を侮辱することばっかり言うてたら『公務執行妨害』で退治しますよ…?」
 「た、退治? このオマワリさん、日本語がわかってない御様子!? この日本では『退治』ではなくって『逮捕』…」
  ズキューーン!! 
 どうやらこのオマワリさんは『野生の七人(第一話)』のお一人だったようで(一部フィクションが混じってます)。 

                badsmaru001.jpg



 で、これ↓が証拠の「キャンペーン記念品」の「お皿洗いスポンジ」と「メモ帳」でごんす。
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 【2月14日の「、え?今日は何の日だったっけ…シクシクシク」日記】
 三週連続で四国より出張の始まり。
 でも今回でとある案件が山を越す…(筈)。 お願い、越して……

 明石海峡大橋を渡りきる頃 小雨がポツポツと。
 それが香川県高松市へ入る頃は雪に変わる。
 あれよあれよという間に「ドカ雪」でごんす。
 積もるわ積もるわ。 先週金曜日の関西積雪の再現だ。
 北陸担当を外れたと思ったら、四国でこんな目に合うとは。

 先日よりTVCMでバンバン流れている小学館の雑誌『落語 昭和の名人完結編 桂枝雀(壱)』
 定価が490円というので、週明けには何処かの新刊書店で購入しようと思っていた。
 ところが本日、丸亀市近くで昼休憩時間にふと立ち寄ったBOOKOFFで我が目を疑った。
 もう「古本」として売られている。 なんと中古売価200円。
 まさかと思いながらレジに持って行って訊いてみた。
 「これ、中のCD入ってないってこたぁ無いよネ?」
 親切にもビニールで封印されたパッケージを開けてくれる。
 「CD」 ちゃんと入ってました。 しかも未開封。
 厨房かどっかの馬鹿の「万引き品」かな?
 即購入。

 これで雪の影響でのダラダラ運転も快適に過ごせます。
 早速車内ステレオで再生を。
 十八番『代書屋』『親子酒』。
 名人の噺に何度も大笑いしながら、今更ながら失ったものの大きさに胸が一杯となりハラハラと落涙す。
 文字通りの「泣き笑い」。


 『桂枝雀』兄ちゃんについては語り出したら止まらないので、また新たな機会にでも。

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【2月08日の「密林だ♪ジャングルだ♪」日記】
 香川県坂出市から11号線で四国中央市を経て愛媛県入り。
 松山市に近づくにつれ、小雨が降りだした。

 今宵のお宿は「道後温泉」北東に位置する「奥道後温泉『ホテル奥道後』」。
 奥道後温泉屈指の巨大観光ホテルであるのだが、一泊二食付限定名付けて『総支配人びっくり!プラン」(笑)だそうで通常9800円の処6980円。
 通常の出張先の宿泊予算としては格段安いともいえないのだが、何しろ昨晩は一泊4980円で押さえているし(←こういう思考の仕方が金の貯まらない貧乏人故の理論である)、何より私の心を惹き付けた施設がこのホテルにはあったのである。
 「ジャングル温泉」

 かつて関西で幼少時代を過ごした全ての少年少女の心を捕らえたTVCMが存在した。
 『ジャングル温泉♪紅葉パラダイスっ♪』
 そこには鬱蒼としたジャングルで背中を流しあいっこをする親子の姿があった。
 あの憧れの「ジャングル温泉」である。
 どんなに子供の頃行きたかったものか。 その夢が大人になった今、叶うのであった。

 中国人らしき仲居さんに部屋(ツイン洋室)に案内された後、意気揚々と浴衣に着替え迷路のような館内を延々と「ジャングル風呂」目指して移動する。 
 「奥道後26湯巡り」の別名を持つ巨大な「ジャングル温泉」はそこのあった。
 大きな体育館のような建物の中、中世の時代 高い石の塔の最上階の牢獄に十数年間幽閉された先代の王様のようにくたびれ果てた「ヤシの樹」が数本、申し訳なさそうに立っているそこは紛れもなく夢の「ジャングル温泉」!
 だだっ広くて真冬は寒いが「ジャングル温泉」。
 26あるという温泉も、多分「男女別」になっているのでその半分で13ヶ所。 なかには「小さなユニットバス」が突如地べたに埋まっていたとしか表現出来ない湯船が8ヶ所位あったとしても「ジャングル温泉」♪(しつこい)
 
 サウナなんかも利用して、それはそれで楽しんでいた私の目に、湯煙の中こちらに近づいてくる人影が映った。
 最初はホテルの従業員さんがお湯の温度を測りに入ってこられたのかな?と思った。 衣服を着ているように見えたからである。
 あれ?従業員さんがジャブジャブ湯船の中にまで浸かりに来た。 それに服も競泳用水着かレスリングのユニフォームみたいなものだぞ?
 曲がりなりにもここは「風呂」なんだし、ナニがナンでも水着着用した大人は在るまい…。
 あ、全身に一生取れないペインティングを施した「お兄さん」だったのネ。
 まぁ大概の入浴客と変わらずこの私も入浴中はメガネを外している。
 するとどうしてもモノを見るときに、何気なくだが目を細めて「目付き」が悪くなるのは避けられない事象である。
 会社に於いても少し小さな文字の書類を読むとき、仕方なしに眼鏡を外していたこトコロ、「MARUさん。目付き悪すぎて他の女子事務員さんが怖がるので眼鏡をかけてくれ」とトリトソ氏らに注意されたこともある。
 ここで「こらオンドレ、ナニ他人(ひと)の身体、ジロジロ見てけつかるんぢゃい!」と怒鳴られでもしょうものなら、いっそ○の○った振りをしてペロペロ蛇口でも舐めようかと一瞬覚悟した程だ。
 「ジャングル温泉」ならぬ『シュラシックパーク風呂』で「ティラノザウルスREX」に出合った気持ちでごんす。

 幸いにもその最悪な出来事は回避できたのだが、この話にはまだ続きがあった。
 その兄さんに「お父ちゃん!」と呼んで飛びついた子供がいる。
 あぁ親子連れなんやと思ったところ、歳の頃なら十歳未満の女の子。
 「お風呂入浴倫理コード」なら『混浴完全アウト』の年代である。
 これは例え「囲炉裏の会」に入会していなくとも、「ティラノのお父さん。なんぼナンでも、それはアキまへんで…」と注意せねばならないトコロだが、何しろ相手は『全身美術館「日展」絶賛好評開催中』のような御方REXである。
 黙って湯船を後にしました。


 嗚呼、風呂上がりの「生ビール」は美味しいなぁっと♪

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 【2月03日の「今日は『エロ成分』は抜きぜよ!」日記】
 広島県福山市鞆ノ浦で目覚める。
 早朝の日の出前に宿泊ホテルの屋上露天風呂に。 聞こえは良いけど、屋上の吹きっさらしに少し大きめのユニットバス風味。
 先客に関東から来たオジサンが一人。
 二人で湯に浸かりながら、春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく海辺を眺める。

 眼下に向かいの『仙酔島』に渡る「福山市立渡船乗場」に渡船が一隻 停船していた。
 おジサンより「あの船『平成いろは丸』って名前なんですよね」という話が出る。
 私が「沈んだ船の名前を付ける神経が判りませんな」というと、意外に受けて嬉しかった。
           DSC_9239.jpg    

 《いろは丸沈没事件》 

 1867年5月26日(慶応3年4月23日)23時頃に伊予国大洲藩所有で海援隊が借り受けて長崎港から 大坂に向かっていた『いろは丸』と、長崎港に向かっていた紀州藩の軍艦「明光丸」が備中国笠岡諸島の六島付近で衝突した。
 『いろは丸』は大破し自力航行不能となって、船舶の修理施設の整った近くの備後国沼隈郡鞆の浦へ明光丸により曳航される途中に、鞆の南10km付近にある沼隈郡宇治島沖で沈没した。
 搭乗していた「坂本龍馬」はじめ海援隊士などいろは丸乗組員は明光丸に乗り移ったあと鞆の浦に上陸した。龍馬は紀州藩の用意した廻船問屋の升屋清右衛門宅や対潮楼に4日間滞在し賠償交渉を開始したが、交渉がまとまらぬうちに明光丸が長崎に向けて出港し、再交渉を行う為に後を追った。
 長崎奉行で海援隊・土佐商会および土佐藩と紀伊藩とで争った。 土佐側はミニエー銃400丁など銃火器3万5630両や金塊など4万7896両198文を積んでいたと主張し、明光丸の航海日誌や談判記録を差し押さえ事件の原因を追及した。紀州藩側は幕府の判断に任せるとしたものの、龍馬は万国公法を持ち出し紀州藩側の過失を追及した。さらに、民衆を煽り紀州藩を批判する流行歌を流行らせた。なお、2006年に行われたいろは丸の調査では、龍馬が主張した銃火器などは発見されなかった。
 事故から1か月後に紀州藩が折れ、賠償金8万3526両198文を支払う事で決着した。 この事故は、日本で最初の海難審判事故とされている。(以上Wikipedia参照)



 いやぁ、「引用参照」が多いと日記が楽チンぜよ。
 
 



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