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【2月04日の「シアーシャ可愛いよシアーシャ」日記】
 観る映画を選択する際、「規範」とする条件を幾つか決めている。
 ・最低でも5人以上が血塗れで死ぬ映画か
 ・たくさんのチャカが出てきて沢山の人が死ぬか蘇って歩き回る映画
 ・なるべく人前で泣かずに済む映画 
                    などである。
 しかし時と場合により、っちゅうか主に上映時間の都合により上記の条件に沿わない「作品選定」が行われる場合もある。
 今晩の《恒例木曜レイトショー》は、まさにそれに当てはまる「作品」だったのだ(実際は「条件」に当てはまっていて驚いたが)。
 いや、泣いた泣いた

 今宵のお題は
 『ラブリーボーン』 

 一部の観客にとっては非常に「肩透かし」な作品にも見えただろう。
 いわゆる「カタルシス」が無い。 無さすぎる。
 しかしこれは「予告編」を含むマスコミ報道にも責任の一端があるだろう。
 『奇跡』は一つしか起こらなかったのだ。

 観ていながら「霊」の考え方にとても共感(シンパシー)を感じた。
 TVなどの「交霊番組」などを観ていると、両手がワナワナと震えだすほど腹が立つ時がある。
 特に幼くして亡くなった我が子との「再会」とやら。
 「いつもお母さんの側にいて見守っておられますよ」
 これは子を悼む「親」の心を縛り付ける「呪い」の言葉であり、まさに互いの魂への「冒涜」である。
 一般的に「子を思わぬ親」はいないし、「親を思わぬ子」もいない(例外はある)。
 上の言葉は「当たり前」であり、決して泪を流し「魂」の救いを求める人の前では決して口にしてはいけない類の「言葉」だと考える。
 (これは「死生観」の違いや「宗教観」を否定するものではない)

 「霊(私は「魂」という言葉に近いものだと思う)」は存在する(かもしれない)が、決して生きている人間や物理的現象に「干渉」するものではない。
 ましてや「祖先」の霊が「子孫」に害を為すなど有り得ない事である。 繰り返すが「子孫の幸せを祈らない『先祖』はいない」。
 彼らはただ「見守る」だけなのである。

 それでもなお「干渉する霊の実在」を主張する人々に、我が敬愛する「上岡竜太郎」師匠の問い掛けをお送りしよう。
 「なんで原爆の落ちた広島球場で、米国人の『バース』がホームラン打てんねん?
 これはよく出来た「笑い話」のように聞こえるが、まさに「霊(幽霊?)」の存在に関して目から鱗の落ちる思いで受け取った。


 彼女の「魂」は決して現実の現象に干渉することはなく、たった一つの「奇跡」を起こして彼女の居るべき世界へ還っていく。
 映画的「カタルシス」は得られないかもしれないが、観終わったあとは最良質の「後味」が残る作品であったのだ。
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